玉敷神社 歴史

 


社伝によれば、大宝3年(703年)、東山道鎮撫使(ちんぶし)・多次比真人三宅磨(たじひの まひと みやけまろ)によって創建された。一説には、成務天皇6年(136年)、武蔵国造・兄多毛比命の創建ともいう。延喜式神名帳では「武蔵国埼玉郡(さいたまぐん) 玉敷神社」と記載され、小社に列格している。



元は現在地の北方の埼玉郡正能村(現:加須市 正能(しょうのう))に鎮座していた。天正2年(1574年)、上杉謙信が武蔵に出兵した際に兵火にかかり、社殿を焼失した。このとき古文書・社宝等も焼失したため、それ以前の歴史については不詳である。江戸時代に埼玉郡根古屋村(ねごやむら。現:加須市 根古屋(ねごや))の騎西城(きさいじょう)大手門前に再建された後、寛永4年(1627年)ごろに現在地に遷座した。



江戸時代までは「久伊豆大明神」とも称されており、埼玉郡の総鎮守として尊崇されていた。