前玉神社 歴史 概史

 


延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では武蔵国埼玉郡(さいたまぐん)に「前玉神社二座」と記載され、2座が式内社に列している。訓みには「サキタマ」と「サイタマ」の両方が付記される。



中世の動向は不明であるが、社伝によると忍城(おしじょう)中にあった浅間社を勧請してからは「浅間社」と号し、鎮座する古墳は富士山に見立てられていたという。初め古墳上の神社は「上ノ宮」、中腹にある神社は「下ノ宮」とされていたが、明治に入り上ノ宮は「前玉神社」、下ノ宮は「浅間神社」と定められたとも伝える。



明治維新後、近代社格制度では郷社に列した。