穴澤天神社 概要
創建は孝安天皇4年(紀元前423年)3月とされる。三沢川(みさわがわ)沿いの多摩丘陵の中腹が境内となっている。境内直下の崖下の洞窟の祠からは東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、これを汲みに来る者が絶えない。
『穴澤天神縁起』には、元禄7年(1694年)に地頭であった加藤太郎左衛門が社殿を改修、天満神社を合祠したとの記述がある。境内の北側(三沢川側)の斜面には横穴があって、かつてはここに石仏が安置されていたが、現在は威光寺の弁天洞窟内に移されている。この処置が廃仏毀釈の結果なのかどうかは不明である。社殿は1986年に修復された。
境内には、稲城の地名の命名者といわれる漢学者・窪全亮(くぼ ぜんりょう)の私塾「奚疑塾」(けいぎじゅく)の功績を称えた顕彰碑が建つ。
例大祭は8月25日で、江戸の里神楽(国の重要無形民俗文化財)、獅子舞(市指定文化財)などが奉納される。