大庭神社(藤沢市稲荷) 由緒

 


平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には「高座郡(こうざぐん)大庭神社」と記載されているものの、近世以前のその他の記録(社伝)は存在しない。当社の由緒に関する境内案内板では「相模十三社の一にして小社に列せられ 当地は往古より旧地なりと伝承す」と書かれている。



境内にある梵鐘享保6年(1721年)の鋳造で、当初は「天満天神宮」と書かれていたとされるが、この文字は削り取られて新たに「大庭大明神」という文字が彫られたと伝えられる。また、藤沢市の教育委員会が出版している『藤沢の文化財』によると、明治以前の当社は「天神社」という名で呼称されていたとのことである。



安永6年(1777年)、神祇伯資顯王によって大庭城を拠点としていた大庭三郎景親(おおばさぶろうかげちか)を、さらに天明3年(1783年)には諏訪部定太郎(すわべ じょうたろう)、山崎六郎兵衛包高(やまざき ろくろべえ かねたか)らの願いによって菅原道眞をそれぞれ勧請合祀)した。明治の神仏分離例以前は当社の裏にある成就院(じょうじゅいん)別当寺として、当社の管理を行なっていた。