比比多神社(上粕屋) 歴史

 


天平の頃、当国守護 染谷太郎時忠(そめやたろうときただ)が国の安土・子宝を願って勧請。安産の祈祷に霊験あらたかであったと伝わっている。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文(ごこうもん)その他旧記等が、天正18年(1590年)小田原落城時に失われた。それ以降、神号を「易産大明神」(いさんだいみょうじん)又は「子易大明神」と称し、安産守護神として崇敬された。



式内社である比比多神社のもう一つの論社は同市三ノ宮に鎮座する比々多神社(ひびたじんじゃ)。比々多神社の社伝では「比比多神社」と書かれた古額があったのを子易明神社の神主に貸したところ返さず、子易明神社にこれを掲げて式内社と称したとの話を紹介している。ただし、この話には証拠はない。



拝殿の柱は、かつて安産のお守りとして参拝者が少しずつ削って持ち帰ったため(現在は禁止)、細くなっている。

 

 



※御告文(ごこうもん)


祭事で、天皇が皇祖皇宗の霊に告げる文。ごこくぶん。おつげぶみ。