衣通姫伝説 伝説の実際
もちろんこの物語をそのまま受け取ることはできない。物語中にある歌は全くの別人が詠んだものであろうし、この二人が同母兄妹であったという確証もないのである。二人の母とされる允恭天皇の皇后・忍坂大中津比売命(おしさかのおおなかつのひめのみこと)は多くの子を生んだとされるが、そのうちのほとんどは生母を異にしていた可能性もある。また、同母兄妹婚姻を禁忌としていた記紀編纂当時の社会さえ同母兄妹での婚姻例は多数記録されており、それよりも300年も以前の社会で、同母兄妹婚姻の禁忌が本当に存在していたかどうかの確証はないのである。
従ってこの物語については、木梨軽皇子が罪に問われたのは、近親相姦ではなくて衣通姫の巫女としての要件である処女性を喪失させた事に対するものだとする説や、本来であれば皇位継承権を持っていた木梨軽皇子が、権力争いの末に穴穂皇子に敗れ、皇位継承から排除された事件を語ったものであるとする説などがある。