大物主 その他
明治初年の廃仏毀釈の際、旧来の本尊に替わって大物主を祭神とした例が多い。一例として、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮(ことひらぐう)は、近世まで神仏習合の寺社であり祭神について大物主、素戔嗚(スサノオ)、金山彦(カナヤマヒコ)と諸説あったが、明治の神仏分離に際して金毘羅三輪一体との言葉が残る大物主を正式な祭神とされた。明治の諸改革は王政復古をポリシーに掲げていたので、中世、近世のご本尊は古代の神社登録資料にも沿う形で行われたので必ずしも出雲神への変更が的外れでなかった場合が多い。
大物主の信仰の古さは記紀から伺うことができる。古事記による神代の記述によれば大物主が大国主によって三輪山に祀られるのは国造りの段階であり、これは国譲りによって大国主自身が出雲に祀られるより前である。また日本書紀によれば大物主に対する祭祀は崇神天皇の代に中興されたと考えられるが、その崇神天皇の孫にあたる倭姫命(やまとひめのみこと)によって天照大神が伊勢に祀られた。
日本書紀の神功皇后摂政前紀において、息長足姫尊が筑紫夜須(やす)に大三輪神を祀した(現在の大己貴神社(おおなむちじんじゃ))ところ、渡海(新羅遠征)のための軍兵がうまく集まったとの記述がある。このことから、大物主は水神であるとともに軍神・国の守護神であったことがうかがえる。この大三輪神の記述は記紀初出で、最も古い。大和の三輪山から勧請との記録もなく、記紀ではこの時にはまだ三輪山は「三諸山」(みもろやま)と記述されている。このことから地元では日本最古の神社といわれている。
日本酒の造り酒屋では風習として杉玉(すぎたま、すぎだま)を軒先に吊るすことがある。これは一つには、酒造りの神でもある大物主の神力が古来スギに宿るとされていたためといわれる。万葉集には次のような恋歌がある(巻4‐712)。
「味酒を 三輪の祝(はふり)が いはふ杉 手ふれし罪か 君に逢ひがたき」
(作者:丹波大女娘子(たにわの おおめおとめ))