葛城襲津彦 系譜

 


系譜に関して『日本書紀』に記載はない。『古事記孝元天皇段では、建内宿禰(武内宿禰)の子7男2女のうちの第八子として記載されている。



記紀に母に関する記載はないが、『紀氏家牒』逸文では荒田彦(あらたひこ。葛城国造)の女の葛比売(かずひめ)とする。また『新撰姓氏録』では、右京皇別 玉手朝臣条等においていずれも武内宿禰の子とされている。



子のうち、娘の磐之媛命いわのひめのみこと。石之日売命)は仁徳天皇皇后となり、履中天皇反正天皇允恭天皇を産んでいる。また『日本書紀』では、襲津彦の子または孫に玉田宿禰たまだのすくね。古事記なし)を、『古事記』では子に葦田宿禰あしだのすくね。日本書紀では系譜言及なし)を挙げる。



なお武内宿禰の系譜に関しては、武内宿禰が後世(7世紀後半頃か)に創出された人物と見られることや、稲荷山古墳出土鉄剣によれば人物称号は「ヒコ → スクネ → ワケ」と変遷するべきで襲津彦の位置が不自然であることから、原系譜では襲津彦が武内宿禰の位置にあったとする説がある。