針綱神社 沿革

 


l 創立年は不明。式内社であり、927年延長5年)の延喜式神名帳には尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」とされている。また、1186年文治2年)の尾張国内神名帳には「針綱名神」されている。

 


l 元々の鎮座地は犬山城天守閣付近であったが、1537年天文6年)、織田信康により、白山平(現在の日本モンキーパーク成田山名古屋別院大聖寺(なりたさんなごやべついんだいしょうじ)などがある山)に移転する。

 


l 1606年慶長11年)、犬山城城主 小笠原吉次(おがさわら よしつぐ)により、犬山城城下町の名栗町(なぐりまち)に移転する。「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」

 


l 1635年寛永12年)、針綱神社の祭礼に対し、城下町の下本町、魚屋町からの練り物(神輿などを中心とした祭礼行列)が出される。1641年(寛永18年)には下本町が馬の塔を車山に変えて人形からくりを奉納し、これが犬山祭の原型となる。1649年慶安2年)、犬山城城主 成瀬正虎(なるせ まさとら)により車山や練り物を奨励したため、さらに盛んになったという。江戸時代は「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」と呼ばれ、歴代犬山城城主の祈願所、庶民の信仰を集めたという。

 


l 明治時代旧社格は村社、1876年明治8年)には郷社となる。1882年(明治15年)現在地に移転し県社となる。