ツクヨミ 『風土記』
山城国風土記
逸文だが「桂里」(かつらのさと)でも、「月読尊」が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂(ゆつかつら)に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。月と桂を結びつける伝承はインドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており、万葉集にも月人と桂を結びつけた歌がある。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば古事記からは、天神から天若日子(アメノワカヒコ)のもとに使わされた雉(きじ)の鳴女(なきめ)や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った山幸彦(やまさちひこ)が挙げられる。
出雲国風土記
千酌の驛家 郡家の東北のかた一十七里一百八十歩なり。伊佐奈枳命の御子、「都久豆美命」、此處に坐す。然れば則ち、都久豆美と謂ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。
都久豆美命(ツクツミノミコト)はツクヨミと読みが似ている為に同一神ではないかと誤解されがちだが、古くから千酌(ちくみ)を守る土着神で朝廷の支配が強まったため土地の人々が伊邪那岐の子にした。