伊富利部神社 概況
l 伊冨利部氏氏(いふりべうじ。伊福部氏(いふくべうじ/いおきべうじ))に関わる神社である。一説によると、伊冨利部氏は大和国葛城山(かつらぎさん)より尾張国のこの地域に移り住み、祖先を祀ったという。672年の壬申の乱では尾張国の伊冨利部氏は大海人皇子に協力していることから、伊富利部神社はそれ以前と推測される。
l 平安時代後期以降、八幡信仰の影響により誉田別命を合祀、正八幡宮(しょうはちまんぐう)と改称している。
l かつては周囲1里の大規模な神社であったというが、1455年(康正元年)社殿が焼失する。境内も縮小される。
l 1556年(弘治2年)、現在地に遷宮され、1582年(天正10年)黒田城城主・沢井雄重(さわい かつしげ。織田信雄の家臣)が再建し、黒田城の守護神とする。
l 1874年(明治7年)、伊富利部神社に改称し郷社となり、1929年(昭和4年)に県社になる。