御塩殿神社 歴史

 


由緒は定かではないが、804年(延暦23年)の『延暦儀式帳』に御塩殿と御塩焼殿が記されている。平安時代の10-11世紀に御塩殿近辺に二見庄が開拓され、外宮の領地(神領、外宮領)とされた。



室町時代1486年文明18年)から江戸時代初期に二見は武家に支配され、御塩殿の運営が困難になった。江戸時代初期に二見を支配していた鳥羽藩主の九鬼(くき)家が跡目騒動により改易処分となり、1632年寛永10年)に二見郷は神領への復帰が認められた。



明治維新後の1871年明治4年)1月、新政府は上知令を出し、全国の寺社から境内を除く全ての領地を没収し、神領の制度は廃止された。これにより御塩浜が没収され粗塩が作れなくなり、神宮は他所から購入した粗塩を御塩殿で焼き固め、神事に使用した。



神宮は1877年(明治10年)に御塩浜の土地を購入し、1897年(明治30年)に御塩浜と御塩殿神社での御塩調進が再開され、旧神領の住民が作業を奉仕する伝統が受け継がれた。

 

 

 

 



※改易(かいえき)

 

改易(かいえき)は、律令制度では現職者の任を解き新任者を補任することを、鎌倉時代室町時代には守護地頭の職の変更を意味した。江戸時代においては大名旗本などの武士から身分を剥奪し所領と城・屋敷を没収すること。除封(じょほう)ともいう。所領を削減されることを減封(げんぽう)という。