神宮衛士 由来と概要

 


神宮御鎮座当時は倭姫命(やまとひめのみこと)に従って伊勢にきた物部十千根命(もののべ  とおちねのみこと/とちねのみこと)の部下(八十友諸人。やそとものお)が警衛の任に当たっていたとされるがその後大神宮司の被官に検非違使(けびいし/けんびいし)があり神郡内の非違を検察した。しかし、直接に宮中守護の任に当たったのは禰宜・大内人等でありこれら神職が神領の戸人を指揮し日夜番直した。その後神領警護のことは武家に移りなかでも山田奉行(やまだぶぎょう、江戸期の読みは「ようだぶぎょう」)内宮外宮の警衛を第一の任務とした。江戸期の式年遷宮の特別警護には隣藩の鳥羽藩が任に当たり嘉永2年9月の遷宮警護には鳥羽藩士330人が警衛の任についている。



その後大正10年、勅令である神宮司庁官制の改正により官吏として、衛士長1名、衛士副長2名、衛士93名が置かれた。