山田三方 事績 ①

 


内宮引付、文明11年(1479年)12月5日の条に依ると、神領奉行職愛洲忠行(あいす ただゆき)(伊予守)が蔵方牢人と山田三方との紛争に際し蔵方牢人の山田還住を「口入」している。





『牢人以弓矢押、可還住之由申候テ方々語勢、ハヤ上地マテ取寄候由承及候、然者山田三方忩豦ト申、云々』


文明十一年十二月五日        忠行判


内宮一称宜殿  加談合、自是返事    愛洲伊予守


               可申由、言にて申