猪名部神社 由緒 猪名部氏について ③
社伝では、猪名部氏は、摂津国(兵庫県)の猪名川(いながわ)周辺からの移住してきたとしている。北摂地方(現在の伊丹市、尼崎市、宝塚市、池田市付近)にはかつてヤマト王権時代に猪名県(いなのあがた)が置かれ、為那都比古(いなつひこ。為那都比古神社(いなつひこじんじゃ)祭神)を首長とする一族が支配していたとされる。ただしここから員弁財麿、豊雄に至る系譜は明らかになっていない。
和銅6年(713年)、第43代元明天皇の勅命により、猪名部の族名が転じて「員弁」とされた。
出自と直接関係づける史料はないが、この猪名部は木工建築の匠の技術を持っていたことが伺われ、天平17年(745年)8月に第45代聖武天皇の勅で始まった東大寺の建立に、猪名部氏族から猪名部百世(いなべ の ももよ)が大工(=棟梁)として、飛騨の匠の益田縄手(ますだ の なわて)が少工(=副棟梁)として動員され完成している。さらには法隆寺、石山寺(いしやまでら)、興福寺の建立にも携わった記録が残り、古墳の出土品からは飛鳥寺(あすかでら)建立にも携わっていることが知られている。