御食神社(伊勢市) 歴史
『倭姫命世記』に記された「水饗神社」(みけじんじゃ)が起源であるとされる。水饗神社は、鷲取老翁(わしとりのおきな)が倭姫命に清水を奉った功績を讃えて創建されたもので、その時に清水を汲んだと伝わる「辰の井」が境内にある。伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建されたのは確実である。また、『止由気宮儀式帳』にも記載があることから延暦23年(804年)以前から存在したことになる。『神名秘書』では、鎮座地を「箕曲郷大口村」とする。櫻井勝之進(さくらい かつのしん)は、御食神社に関連して、以下のように述べている。
勢田川下流の「水戸の御食都神の社」(『儀式帳』)を含むことは、この河口港が早くから要衝であったことを示すものであろうか。
— 櫻井勝之進『伊勢神宮』93ページ
中世には祭祀が断絶し、寛文3年(1663年)に現社地で再興された。明治4年(1871年)、近代社格制度の創設により、外宮摂社でありながら、渡会県管轄の村社に列し、伊勢神宮と度会県から二重に所管されることとなった。こうした二重管轄はほかの神宮摂末社でも発生したため、神宮司庁は教部省に諮ったところ、11の末社が神宮の管轄から外れた一方、皇大神宮(内宮)末社の加努弥神社(かぬみじんじゃ)と御食神社はそのまま二重管轄とすることが明治5年4月(グレゴリオ暦:1872年5月)に申し渡された。加努弥神社では1881年(明治14年)12月に氏子が内宮末社と村社の分離を求め、1886年(明治19年)に分離が決定するに至ったが、御食神社に関しては分離が提起されたという記録はなく、分離問題はなかったと見られる。