多岐原神社 歴史

 


『倭姫命世記』などに記載された伝承によれば、天照大神を奉じて巡幸中の倭姫命が宮川を渡ろうとするも、流れが速く困っていると、真奈胡神は渡れるところを案内し、その縁で多岐原神社が定められたとされる。確実なところでは、伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された。『皇大神宮儀式帳』にも記載があることから延暦23年(804年)以前から存在したことになる。他の神宮摂末社と同様、祝部(ほうりべ)と呼ばれる日常の祭祀役が任命されていたようであり、『眞奈胡由来記』で祝部の存在が確認できる。



寛文3年(1663年)に大宮司・河邊精長(かわべ きよなが。大中臣精長(おおなかとみの きよなが))によって再興された。再興された社地が荒廃前の旧社地であるかは明確ではないが、立地場所の環境と倭姫命の伝説を照らし合わせて、おおむね同じ場所であると見ることができる。享保9年(1724年)、紀州藩は「殺生禁断」の石標を建て、享保17年(1732年)には三瀬川村が常夜灯を2基献灯した。



1904年(明治37年)10月に社殿の建て替えが行われた。