生根神社(大阪市住吉区) 歴史
創建は不詳。社伝では住吉大社の創建以前から鎮座するというが、『住吉大社神代記』に当社に関する記述は見えない。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「生根神」には神戸として大和国から1戸が充てられていた。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では摂津国住吉郡に「生根神社 大 月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が記載されている。
文明14年(1482年)には境内に天満宮が祀られ、この天満宮が信仰を集めたため生根神社自体も「奥の天神」と通称されるようになっていた(「奥」は、住吉大社から見て大海神社(だいかいじんじゃ)のさらに奥に鎮座したことによる)。
慶長年間(1596年-1615年)頃には、現在の本殿が造営された。江戸時代は住吉大社の摂社として推移しており、『住吉松葉大記』には摂末部に「奥天神社」として、住吉神宮寺の社僧が奉仕する旨とともに記されている。
明治維新後、明治5年(1872年)に住吉大社から分離独立のうえ、近代社格制度において郷社に列した。また明治40-44年(1907年-1911年)には近隣の塞神社(さいじんじゃ)2社(いずれも旧無格社)・竜王神社(りゅうおうじんじゃ。旧無格社)・種貸神社(たねかしじんじゃ。旧村社)が境内に移されている。