泉井上神社 由緒
創建は不詳。社伝によれば、200年(仲哀天皇9年)に神功皇后が三韓征伐へ出発する途上、当地を行啓した際に突如として泉が湧き出、凱旋後に霊泉として社を築いて祀ったという。本殿脇にあるこの霊泉は「和泉清水」(いずみしみず)と呼ばれ、和泉国の国名の起源とされる。
のちに、当社を中心に和泉国の国府が置かれ、国内の大鳥大社(おおとりたいしゃ。一宮)、泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ。二宮)、聖神社(ひじりじんじゃ。三宮)、積川神社(つがわじんじゃ。四宮)、日根神社(ひねじんじゃ。五宮)の祭神を勧請した総社が築かれた。
中世に入ると、当社と五社総社の区別が次第に希薄になり、同一視されるようになった。また、八幡信仰が盛んになり放生会(ほうじょうえ)も行われるようになったという。豊臣秀吉は大坂城在城の折には和泉清水を茶の湯に用いていたと言われ、子の秀頼によって1605年(慶長10年)に再建された五社総社本殿は重要文化財に指定されている。この際、当社はついに五社総社の摂社扱いとなるに至ったが、1899年(明治32年)に当初の鎮座地に戻った。