彦坐王 記録

 


日本書紀』では事績に関する記載はない。『古事記』では後述のように丹波派遣伝承が記されるのに対して、『日本書紀』では子の丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと/たにはのみちぬしのみこと)四道将軍の1人として丹波に派遣されたとしている。



古事記』崇神天皇段では、日子坐王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討ったという。