狭山神社 歴史
創建の年代は不詳であるが、崇神天皇の勅願により、狭山池の築造以前に創建されたという伝承がある。延喜式神名帳では、近隣の狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ。現 当社摂社)とともに大社に列格している。南北朝時代、当地は南北両軍の激戦地となり、たびたび兵火にかかった。現在の社殿は室町時代中期の明応2年の再建と推定されている。
明治5年(1872年)に郷社に列格し、明治40年1月に神饌幣帛料供進社に指定された。同年12月26日、字 明神山(みょうじんやま)にあった村社狭山堤神社を合祀した。また、明治40年には八雲神社(やくもじんじゃ。祭神 素盞嗚命)、明治42年には村社狭間神社(はざまじんじゃ。祭神 稲田姫命・大山祇神)を合祀した。