氏姓制度 律令国家による再編 八色の姓

 

684年天武天皇13年)に、「八色の姓(やくさのかばね)が制定された。その目的は、上位の4姓、つまり真人(まひと)朝臣(あそん、あそみ)宿禰(すくね)忌寸(いみき)を定めることである。真人は、継体天皇より数えて5世以内の世代の氏に与えられたといわれ、皇子・諸王につぐ皇親氏族を特定したので、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)で官位を皇子・諸王と貴族(諸臣)とで区別したことと共通する。したがって、貴族の姓としては、朝臣、宿禰、忌寸の3つである。以上が「甲子の宣」の大氏、小氏、伴造氏の発展形であり、その間にさらに氏族の再編が進められ、朝臣52氏、宿禰50氏、忌寸11氏に収められた。



大宝令701年)で、貴族の三位以上と四、五位の官位にともなう特権が明確にされた。これに対応する氏姓も一応完成された。地方豪族についても、702年大宝2年)、諸国国造の氏姓を政府に登録することによって、中央豪族と同様の対応がなされたものとされる。