ヤマトタケル 記録 東征 

 

 

古事記

 

白鳥は伊勢を出て、河内国志幾(しき)に留まり、そこにも陵を造るが、やがて天に翔り、行ってしまう。

 

 

 


日本書紀

 

白鳥の飛行ルートが能褒野→大和琴弾原(ことひきのはら。奈良県御所市)→河内古市(ふるいち。大阪府羽曳野市)とされ、その3箇所に陵墓を作ったとする。こうして白鳥は天に昇った。その後天皇は、武部(たけべ。健部建部)を日本武尊の御名代とした。



『古事記』と異なり、大和に飛来する点が注目される。