御真影 第二次世界大戦後
第二次世界大戦の敗北に伴い1945年(昭和20年)12月に文部省は学校からの御真影回収を指示し、これに応じて御真影は都道府県単位で回収され焼却処分(「奉焼」)された。回収後再下付が行われるものとされていたが、実際には文部省は再下付に消極的だった。サンフランシスコ講和条約が発効し日本の占領が終わった1952年(昭和27年)6月に秋田県の敬愛学園高校が再下付を申請し認められたことを初めとして、1950年代には学校で御写真を掲げる儀式を再開する動きが一部にあった。
御真影 第二次世界大戦後
第二次世界大戦の敗北に伴い1945年(昭和20年)12月に文部省は学校からの御真影回収を指示し、これに応じて御真影は都道府県単位で回収され焼却処分(「奉焼」)された。回収後再下付が行われるものとされていたが、実際には文部省は再下付に消極的だった。サンフランシスコ講和条約が発効し日本の占領が終わった1952年(昭和27年)6月に秋田県の敬愛学園高校が再下付を申請し認められたことを初めとして、1950年代には学校で御写真を掲げる儀式を再開する動きが一部にあった。