艦内神社 勧請する神社 ①

 

日本海軍はその草創期から、艦艇の名称には人名ではなく、旧国名山岳名、河川名、気象名などを用いてきた。これは明治天皇が艦名に偉人の名前を冠することを嫌ったためである。艦内神社がどの神社を祀るかについて、あるいは艦内神社の規模について、海軍として明確な規定があるわけではない。大体はその艦名に関わりの深い神社が祀られることが多い。駆逐艦や潜水艦の場合は、おおむね伊勢神宮である。 艦長の意向によって決まる例もあった。特設水上機母艦「君川丸(きみかわまる)の場合、民間船から特設水上機母艦になった際、艦長が主計長(しゅけいちょう)に「艦内神社を奉斎したい」と相談。そこで市川主計長の父が宮司を務める川崎稲毛神社かわさきいなげじんじゃ。主祭神:武甕槌神(たけみかづちのかみ))より分祀をおこなった。



艦名に関連する事例は以下の通り。



薩摩型戦艦2番艦「安芸(あき)は艦内に安芸國一之宮である厳島神社を勧請しており、これは当時の安芸艦長であった矢島純吉(やじま じゅんきち)海軍大佐の発案であったという。



長門型戦艦1番艦「長門(ながと)であれば長門國一之宮である住吉神社のように、旧国名という特徴からか戦艦にはその國の一之宮が祭られる傾向があったという。扶桑型戦艦1番艦「扶桑(ふそう)の場合、当初は男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう。石清水八幡宮)を祀っていたが、1932年(昭和7年)に伊勢神宮を合祀した。



しかし例外もあった。大和型戦艦1番艦「大和(やまと)の場合、戦艦であれば旧国名であるので、大和國一之宮大神神社(おおみわじんじゃ)を勧請すると思われるが、実際に艦内に祀られていたのは大和神社(おおやまとじんじゃ)であるとされているように、艦によってさまざまであった。余談であるが、戦艦「大和」は沖縄特攻出撃時(坊ノ岬沖海戦)、艦内にあった「大和神社の図」を撤去したという。図会は現在江田島の教育参考館に展示されている。



また、重巡洋艦(じゅうじゅんようかん)巡洋戦艦(じゅんようせんかん)などは山岳名が艦名に用いられているが、金剛型戦艦3番艦「榛名(はるな。竣工時は巡洋戦艦)は榛名神社(はるなじんじゃ)妙高型重巡洋艦2番艦「那智(なち)熊野那智大社のように、艦名と同じ神社を祀る場合も多い。 高雄型重巡洋艦1番艦「高雄(たかお/たかを)は、高雄山(京都市)に縁がある京都護王神社(きょうとごおうじんじゃ)より御分霊を奉祀した。古鷹型重巡洋艦1番艦「古鷹(ふるたか)は艦橋に艦内神社をもうけていたが、勧請元は不明という事例もある。