耳成山口神社 歴史
創建は定かではないが、古くは『正倉院文書』の正税帳(しょうぜいちょう)の730年(天平2年)に天皇より稲を給わったことや、『延喜式神名帳』に大社として月次祭・新嘗祭を仰せつかったとの記載がある。また、806年(大同元年)や859年(貞観元年)9月などに、天皇の遣使によって雨乞いの神事が行われたと記録が残っている。
1651年(慶安4年)、山之坊の村民が神木を伐り荒らしたことを切っ掛けに神社を中心にした山の管理や所有争論が起こり、1702年(元禄15年)、「耳無山天神ハ式内之社耳無山口神社」とすることで決着した。その後、山之坊の村民は神霊を山之坊山口神社(やまのぼうやまぐちじんじゃ)に遷座している。 この間、建物が焼失するなど荒廃していたが、1748年(寛延元年)8月、耳成村の氏子らが現在に残る本殿と拝殿を再建し、石原田・木原・葛本・新賀・常磐・山之坊地区の氏神として祀られている。