菅原天満宮(奈良市) 祭神 祭神について

 


主祭神の天穂日命(アメノホヒ)は、『日本書紀』で「是出雲臣土師連等祖也」と見えるように、古代氏族の土師氏(はじうじ、土師連のち土師宿禰(はじのすくね))の祖神になる。土師氏は埴輪・土器の製作や葬礼・陵墓管理にあたる土師部の伴造(とものみやつこ)氏族で、土師氏遠祖になる野見宿禰(のみのすくね)も『日本書紀』において埴輪伝承が採録される人物になる。この土師氏は、『続日本紀延暦9年(790年)12月30日条に「四腹」と見えるように4支族から成ることが知られるが、それらは和泉国百舌鳥(もず)大和国菅原、大和国秋篠(あきしの)河内国志紀郡(しきぐん)丹比郡(たじひのこおり)といういずれも巨大古墳群(百舌鳥古墳群佐紀(さき)古墳群古市(ふるいち)古墳群)の営造地に対応する。そして4支族のうち百舌鳥・菅原・秋篠の3支族は、8世紀末頃にそれぞれ大枝氏(のち大江氏)・菅原氏秋篠氏と改姓した。



当地の地名である「菅原」はスゲ(菅)の自生地・草原を意味し、元来は平城宮以西の広大な丘陵地域を指した名称とされる。菅原一帯の土師氏支族については、『菅家御伝記』にも「爾来土部氏万葉居菅原伏見邑」として土師氏が居住する旨が記載されている。実際に、一帯では土師氏の存在を裏付ける古墳時代後期の菅原東遺跡埴輪窯跡群(奈良市指定史跡)の存在が知られるほか、菅原神社の信仰圏が土師氏の分布範囲とほぼ一致することも注目される。史書には菅原神社以外にも菅原伏見東陵垂仁天皇陵)・菅原伏見西陵(安康(あんこう)天皇陵)・菅原寺(すがわらでら。現在の喜光寺(きこうじ))の名称が当地の地名に由来するものとして知られるほか、菅原氏の氏名も当地の地名に由来するものとされる。菅原神社の祭祀は、このような菅原の土師氏支族(のちの菅原氏)がその祖神を祀ったことに始まると見られているが、後世に菅原道真の誕生地とする説も生じ、現在は天神信仰の神社として信仰されている。