勝手神社(かつてじんじゃ)

 


勝手神社(かつてじんじゃ)とは奈良県吉野郡 吉野町(よしのちょう)にある神社。祭神は『和漢三才図会』に「勝手社 祭神一座 受鬘命(うけりのみこと/うけのりのみこと)」とある。現在の主祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)とされている。大山祇命(おおやまつみのみこと)久久能智命(くくのちのみこと)木花佐久夜比咩命(このはなさくやひめのみこと)苔虫命(こけむしのみこと)葉野比咩命(はのひめのみこと)が配祀されている。

 

 



吉野大峰山(おおみねさん)鎮守社である吉野八社明神の一でかつては「勝手明神」と呼ばれた。吉野川水源に当たる青根ヶ峰(あおねがみね)は古くから水神として崇敬を受け、山頂付近に金峯神社きんぷじんじゃ。奥千本)・山腹に吉野水分神社よしのみくまりじんじゃ。上千本)・山麓に勝手神社(中千本)が建てられた。勝手は「入り口・下手」を意味するともいい、その字面から勝負事や戦の神としても信仰された。神仏習合時代には勝手大明神の本地毘沙門天と言われ、さらなる武門の尊崇を受けることとなった。また、吉野山の入り口に位置することから山口神社(やまぐちじんじゃ)ともいわれた。



創建年代は不詳だが、「日雄寺継統記」では孝安天皇6年(紀元前386年)とする。大海人皇子(おおあまのおうじ。後の天武天皇)が社殿で琴を奏でたところ、天女が舞い降り5度袖を振りつつ舞ったと伝えられ、背後の山は「袖振山」(そでふるやま)と称する。また、この故事が宮中の「五節舞(ごせちのまい。五節の舞)の起源という。



境内には源義経の妻女、静御前(しずかごぜん)が追っ手に捕らわれた際、舞を見せたと伝わる舞塚が残る。 流造檜皮葺、桁行八間・梁間二間の本殿は県の有形文化財であったが、2001年に不審火で焼失したため、ご神体は向かいの吉水神社(よしみずじんじゃ)に遷座しており、本殿再建のための寄付金が募られている。