ウカノミタマ 史料における記載 伏見稲荷社記

 


江戸時代になると、伏見稲荷の神職等により諸々の由緒記(『水台記』(すいたいき)他)が著されるが、その多くが稲荷三神の主神をウカノミタマとしている(天倉稲魂命、若倉稲姫魂命、と表記される場合もある)。本来は稲荷山の上・中・下の三社のうち、中社に鎮座するとされていたが、江戸後期から下社とする記述が増え、現在もそのようになっている。



これに対し、他の 2神の神名は文献によって異同があり、現在の形(ウカノミタマ、サタヒコオオミヤノメ)に決まるのは明治になってからである。



なお、真言宗総本山・東寺縁起に登場する、稲束を担いだ翁の稲荷明神がウカノミタマと呼ばれる事もあるが、近世以降の付会である。中世の東寺縁起では、この翁の稲荷神に固有の神名はなく、鎮座場所も稲荷山の上社である。高野山伝来の『稲荷五所大事聞書』では、この翁の稲荷神の名は「太多羅持男」としている。