下御霊神社 歴史
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。
元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出水(しんまちでみず)に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。
なお、式内社研究家の志賀剛は延喜式神名帳に記載される出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ。式内大社)を当社に比定している。