御霊信仰 その他
御霊の音が似ているために「五郎(ごろう)」の名を冠したものも多く見られ、鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ。御霊神社(ごりょうじんじゃ))や鹿児島県大隅半島から宮崎県南部にみられる弥五郎(やごろう)どん祭りなどの例が挙げられる。
全国にある五郎塚などと称する塚(五輪塔や石などで塚が築いてある場合)は、御霊塚の転訛であるとされている。これも御霊信仰の一つである。
柳田國男は、曾我(そが)兄弟の墓が各地に散在している点について「御霊の墓が曾我物語の伝播によって曾我五郎の墓になったのではないか」という説を出している。
天皇は中世には祇園の御輿御所近くを通る際にはその怨霊を恐れて方違(かたたがえ、かたちがえ)を行う慣例があった。これは「祇園会方違」、「御霊会御方違行幸」、「方違行幸」などと言われ、特定の呼称はなかった。ただし、この方違は単に激しい雑踏を避けるためのものであったとの異説もある。
谷川健一(たにがわ けんいち)著『祭りとしての安保』によれば、1960年のデモ(安保闘争)は祝祭であり樺美智子(かんば みちこ)の死は祭りの際の生贄で(但し、儀式としての葬式はデモ主催者によって却下されている)、その後の岸(きし)内閣の総辞職は時の為政者が御霊を恐れたためという。