上御霊神社 祭神 ②

 


祭神は9世紀前半から民衆の間で広まり、863年(貞観5年)には公式の御霊会(ごりょうえ)で祭られるようになった御霊信仰が元になっている。当初の御霊会で祭られたのは崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使かんさつし。藤原仲成(ふじわらの なかなり))、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文室宮田麻呂)の六所御霊であった。追加された二神について、火雷神は菅原道真、吉備聖霊は吉備内親王(きびないしんのう)、または伝承にある井上内親王が産んだ皇子とする説、さらに火雷神は落雷を司る雷精で、吉備聖霊は鬼魅(きみ。災事を起こさせる霊力)であると解釈する説もある。



相殿に小倉実起(おぐら さねおき)小倉公連(おぐら きんつら)・中納言典待局(ちゅうなごん すけのつぼね)小倉季判(おぐら のりとも)、若宮に和光明神(わこうみょうじん。菅原和子(すがわら かずこ))を配祀する。



これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。