大井神社(京都市) 歴史 概史
創建は不詳。
一説として、秦氏(はたうじ)が葛野大堰(かどのおおい)を築き当地を開拓した際に治水神として祀ったのが創祀ともいわれるが、明らかではない。また『日本三代実録』に見える「山代大堰神」を当社に比定する説もあるが、これも明らかでない。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国 乙訓郡(おとくにぐん)に式内社として「大井神社」の記載があり、当社はその論社とされている。ただし現社地は旧葛野郡(かどのぐん)に属することから、『式内社調査報告』では当社は式内大井神社ではなく松尾大社(まつおたいしゃ/まつのおたいしゃ)末社の堰神であるとし、式内大井神社は廃れたと推測している。
明治10年(1877年)3月26日に近代社格制度において村社に列した。現在の社殿は野宮神社(ののみやじんじゃ)の旧社殿を移築したものである。