天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、日本神話の神。天地開闢に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。
『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている(『日本書紀』では国之常立神(くにのとこたちのかみ)が初めての神)。その後 高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神(ぞうかのさんじん)といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。
『日本書紀』本文には記述はなく、第一段で6つ書かれている一書のうちの第四の一書にのみ登場する。そこでは、まず国之常立神、次に国狭槌尊(くにさつちのみこと)が表れたと書き、その次に「また、高天原においでになる神の名を天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)という」と書かれている。この記述からは、前に書かれた二神とどちらが先に現れたのかはわからない。なお、他の一書では、最初に現れた神は国之常立尊(本文、第一、第四、第五)、可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)(第二、第三)、天之常立尊(第六)としている。
神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味である。宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされる。
『古事記』、『日本書紀』とも、その後の事績は全く書かれておらず、中国の天帝の思想の影響によって机上で作られた神であると解釈されてきた。しかし天之御中主神には倫理的な面は全く無く、中国の思想の影響を受けたとは考え難い。天空神(てんくうしん)が至高の存在として認められながらも、その宗教的現実性を喪失して「暇な神」となる現象は、世界中で多くの例がある。
中世に伊勢で発達した伊勢神道においては、神道五部書(しんとうごうぶしょ)などで、伊勢神宮外宮(げくう)の祭神である豊受大神(とようけおおかみ)の本体が天之御中主神であるとされた。これは、伊勢神道の主唱者が外宮の神職 度会氏(わたらいうじ)であったため、外宮を始原神である天之御中主神であると位置づけることで、内宮(ないくう)に対する優位を主張するものであった。伊勢神道を中心とする中世神話において、天之御中主神は重要な位置を占める神格である。
平田篤胤(ひらた あつたね)は禁書であったキリスト教関係の書籍を読み、その万物の創造神という観念の影響を強く受けた。そして『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造を天御中主神・高皇産霊尊(タカミムスビ)・神皇産霊尊(カミムスビ)の造化三神によるものとした。この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでも天御中主神は最高位に位置づけられている。
日本神話の中空構造を指摘した河合隼雄(かわい はやお)は、ツクヨミ、ホスセリと同様、無為の神(重要な三神の一柱として登場するが他の二柱と違って何もしない神)としてアメノミナカヌシを挙げている。