福長神社 歴史 概史
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、宮中の「神祇官西院坐御巫等祭神」のうちで生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神について「座摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」と記されており、5柱は式内大社に列するとともに月次祭・新嘗祭において幣帛に預かっていた。これら5柱は、貞観元年(859年)にも無位から従四位上に神階の昇叙を受けている。
社伝では、天正年間(1573年-1592年)の豊臣秀吉による聚楽第(じゅらくてい/じゅらくだい)造営または廃城の際に現在地に遷座したという。ただし、天正2年(1574年)に織田信長が上杉謙信に贈ったとされる「洛中洛外図屏風」では、すでに現在の場所において福長神社が確認される。
天明8年(1788年)の天明の大火による焼失以降、現在まで社殿は小祠となっている。