台南神社 歴史
台南神社境内は北白川宮能久親王の終焉の地である。能久親王は1895年(明治28年)10月28日に台南の豪族 呉汝祥の家で薨去した。当初は、台湾の神社の中心となる台湾神社(たいわんじんじゃ。のち台湾神宮(たいわんじんぐう))の候補地として挙がったが、同社は台北に創建された。その後、当地は台湾神社遥拝所となり、台湾神社が管理した。1920年(大正9年)、台湾総督府はここに工を起し、1923年(大正12年)10月27日社殿が設けられ、鎮祭し、無格社に列せられ、1925年(大正14年)10月31日に官幣中社に昇格した。例祭は台湾神社と同じく10月28日。無格社時代には台湾神社の所管に属し、台湾神社から職員が派されてこれを守った。
台湾への中華民国軍進駐後は、台南市忠烈祠となった。さらに1972年(昭和47年)に日本と台湾が断交した際に、民国政府は「日本統治時代の日本の帝国主義的なものは全て取り除く」との命令を発し、それ以前から各地で跡地境内が改変されていたが、より本格的に多数で跡地が改変され、台南神社は体育場になった。