鎌倉宮 護良親王
祭神である護良親王は後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現したが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺(とうこうじ)に幽閉され、建武2年(1335年)の中先代の乱(なかせんだいのらん)の混乱の中で尊氏の弟の直義(ただよし)の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって殺められた。
武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治2年(1869年)2月、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じた。7月15日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営された。
明治6年4月16日に明治天皇は鎌倉宮を行幸、同年6月9日に鎌倉宮は官幣中社に列格した。
1939年(昭和14年)1月18日、日本郵船の客船「秩父丸」(ちちぶまる)は「鎌倉丸」(かまくらまる)と改名する。客船「氷川丸」(ひかわまる)の船橋に氷川神社の祭神を祀っているように、「秩父丸」にも秩父神社を勧請していた。改名に際し、「鎌倉丸」は新たに鎌倉宮から御祭神を奉安した。