照国神社 沿革
祭神は島津家28代当主で安政5年(1858年)7月に50歳で急逝するが、文久2年(1862年)に祭神の遺志を継いだ弟 久光(ひさみつ)と甥 忠義(ただよし)が鹿児島城内西域の南泉院(なんせんいん)郭内に祭神を祀る社地を選定し、翌3年5月11日に孝明天皇の勅命による「照国大明神」の神号授与を受けて祠を造営したのが創祀で、翌元治元年(1864年)に改めて東照宮が建っていた地に社殿を造営し、照國神社と称した。
明治6年(1873年)に県社に列し、同15年(1882年)には別格官幣社に昇格。明治維新における祭神の功績と薩摩藩の役割が考慮されたと考えられる。