青島神社 由緒
元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ、古くから青島自体が霊域として崇められており、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝えるが、寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に創祀の古伝を詳らかにしえないという。
神社の旧記によれば、平安時代の日向国の国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)青島大明神」と記され当時既に崇敬されていたと伝え、その後文亀(ぶんき)3年(1503年)に伊東尹祐(いとう ただすけ)によって再興されて以降、伊東氏の篤い崇敬を受け、大永(たいえい)3年(1523年)、天正6年(1578年)、貞享4年(1687年)、寛保2年(1742年)、明和4年(1767年)、文化5年(1808年)と6度にわたる社殿の造営・改修や、境内の保全事業が行われた。また、飫肥(おび)藩時代は藩士の中で土器(かわらけ)格の者1人を島奉行に任じ、島内の樹林や磯辺を監守させた他、牛馬を渡島させたり発砲を禁じたりと一切の汚穢(おえ)を警戒させていた。元文2年(1737年)まで入島は神職と島奉行のみに限られ、村民は対岸の尖浜(とがりはま。現青島海水浴場)に拝所を設けて遙拝していたが、当時の神主であった長友肥後が藩主に解禁を申請し、以来一般人の渡島参詣が可能になった。
明治4年(1871年)村社に列し、戦後は神社本庁の別表神社に指定された。