狭野神社(宮崎県西諸県郡) 歴史

 


孝昭天皇の時代、神武天皇が誕生した地(高千穂峰(たかちほのみね)の麓の皇子原(おうじばる))に創建されたと伝えられる。その後、数度にわたる霧島山(きりしまやま)の噴火により社殿の焼失と遷座を繰り返し、現在地に遷座したのは慶長15年(1610年)である。この頃より薩摩藩島津氏の崇敬を受け、社殿の改築・社領の寄進などが行われた。



明治6年に県社に列格したが、大正4年に官幣大社宮崎神宮の別宮に指定された。1898年からは、高木兼寛(たかき かねひろ)が宮崎神宮の大造営と同時に、神武天皇ゆかりの狭野神社の社殿の改修も行った。第二次大戦後に再び独立の神社となり、昭和51年(1976年)に神社本庁の別表神社に列格した。