ニニギ 埋葬地・可愛山稜(えのやまのみささぎ)
ニニギは薨去後「可愛之山稜」(えのやまのみささぎ)に葬られた。
埋葬地である「筑紫の日向の可愛の山稜」の伝承地は南九州各地にある。
明治政府はその中から、旧薩摩藩の学者の意見を参考にして、明治7年に鹿児島県薩摩川内市(さつませんだいし)の新田神社(にったじんじゃ)が可愛山陵であると治定した(他の日向三代(ひむかさんだい)の神陵も鹿児島県内に治定している)。
その後、宮内庁の調査により、明治29年、宮崎県 東臼杵郡(ひがしうすきぐん)北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」、宮崎県西都市(さいとし)西都原(さいとばる)古墳群にある男狭穂塚(おさほづか)を「可愛山陵参考地」と定めた。男狭穂塚は九州最大の古墳である。
ただ、宮崎県宮崎市の前方後円墳にある奈古(なご)神社(江戸時代以前の呼称は長屋神社(ながやじんじゃ))、宮崎県延岡市天下町(あもりまち)の天下神社(あもりじんじゃ。吉野神社(よしのじんじゃ))境内にある国指定南方古墳も御陵と伝えられている。
可愛岳そのものが神陵であるという伝承もある。