高橋稲荷神社 歴史
明応(めいおう)5年(1496年)、隈本城(くまもとじょう。熊本城)の初代城主 鹿子木親員(かのこぎ ちかかず)が支城として稲荷山山頂に上代城(かみだいじょう)を築いた際、城内鎮守のため京都の伏見稲荷神社から稲荷大明神を勧請したのに始まる。天文10年(1541年)上代城落城の際に稲荷神社も焼失した。
江戸時代に入り、熊本藩主細川氏の菩提寺である海蔵寺(かいぞうじ)の首座(しゅそ)義本(よしもと)氏が夢で稲荷神社再興の啓示を受け、寛文元年(1661年)、現在地である稲荷山中腹に社殿を再建し遷座した。以降、熊本藩主細川氏の崇敬を受けた。
明治維新の際に高橋稲荷神社に改称した。戦後は神社本庁に参加し、昭和41年(1966年)7月1日にその別表神社とされた。