菊池神社(菊池市) 歴史
慶応4年(1868年)に熊本藩から明治新政府の参与に出仕した長岡護美(ながおか もりよし)が、菊池氏と加藤清正のために神社を創建する案を建議した。同年7月18日、太政官政府はこの建言を採択し、熊本藩に両者の祭祀を執行するよう命じた。そこで熊本藩は、清正のために熊本城内に錦山神社を建て(現・加藤神社(かとうじんじゃ))、菊池氏のために菊池城址に菊池神社を建てた。菊地神社の鎮座祭は明治3年(1870年)4月28日に行われ、この時に主祭神を菊池武時とし、武重と武光を配祀神とした。
明治6年(1873年)5月に郷社に列され、8年(1875年)7月には県社に昇格したが、その10月24日に楠木正成を祭る楠社(現・湊川神社(みなとがわじんじゃ))が別格官幣社なのに菊池神社が県社では不公平だと白川(しらかわ)県が教部省に願い出た。3年後の同11年(1878年)1月10日に名和神社(なわじんじゃ)とともに別格官幣社に列した。あわせて、その時まで配祀されていた武重、武士(たけひと)、武光、武政(たけまさ)、武朝(たけとも)の5人に加え、菊池氏に従って戦った一族他家の将士も配祀することになった。同年6月3日に、菊池武時が戦死した元弘3年3月13日を太陽暦に換算した5月5日を例祭日に定めた。
大正12年(1923年)に配祀されていた武重と武光を主神に加えた。
昭和26年(1951年)に宗教法人法が公布されたのをうけ、昭和27年(1952年)9月13日に宗教法人菊池神社となった。