八代宮 歴史
明治維新以降、南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こり、懐良親王の墓所のある八代の住民からも、懐良親王と良成親王を祀る神社を創建し、鎌倉宮(かまくらぐう)・井伊谷宮(いいのやぐう)と並ぶ官幣中社にしてほしいという請願が何度かなされた。住民である徳富忠七や八代宮創立発起担当人の村上忠三らは、墓所から遠くない松江城(まつえじょう。八代城(やつしろじょう))の址に神社を建てることを求めた。これを請けて1880年(明治13年)に太政官が熊本県に創立を命じ、懐良親王を祭神とし、良成親王を配祀する神社が八代宮の名で願い通りに造られることとなった。
同地には官有地と民有地があったが、1881年(明治14年)に民有地が神社のために寄付されたため、八代城址は全体が神社の境内になった。また神社の前から市街に通じる道路を開くこととした。建設予算は9463円80銭4厘で、寄付金2642円97銭4厘(寄付金2000円、残りは力役提供を金銭に換算)と官費6820円83銭で拠出した。
またこの年に、宮内省と内務省は霊代(たましろ。神体)を社殿完成後に新しい鏡で納めることにすることを決めた。社殿が完成してから、明治17年(1884年)4月20日に鎮座祭が行われ、霊代が納められた。