長崎縣護國神社 歴史
明治2年(1869年)、長崎市梅ヶ崎(うめがさき)に、戊辰戦争で戦死した藩士43柱を祀る梅ヶ崎招魂社が創建された。明治7年(1874年)、長崎市西小島に台湾の役の戦死者536柱を祀る佐古招魂社が創建され、以降、国難に殉じた英霊を合祀してきた。昭和14年、招魂社の制度改正により両招魂社は護国神社となった。昭和17年(1942年)3月、両護国神社を合併して内務大臣指定の長崎縣護國神社とし、現在地に社殿を造営し、昭和19年3月に竣工・遷座した。
昭和20年8月、原爆投下により全ての建造物を失い、遷座前の佐古招魂社跡(梅ヶ崎天満宮。うめがさきてんまんぐう)を仮宮とする。昭和38年10月に再建された。