鎮西大社諏訪神社 歴史 年表 江戸時代 ①
l 1625年(寛永2年)
- 長崎奉行や代官らの保護・援助を受け、青木賢清(あおき かたきよ/けんせい)が西山郷円山(現 松ノ森神社(まつのもりじんじゃ))に社殿を建立し、諏訪・森崎・住吉の三神を合祀。
o 青木賢清はキリシタンから「天狗」つまり「悪魔」とののしられていた。社殿の建設にあたりキリシタン教徒の妨害がひどかったが、人夫(建設従事者)を大村から招くなど苦心の末、一宇(一棟)の小社を建立した。
l 1634年(寛永11年)
- 長崎くんちの始まり
o 長崎奉行(神尾、榊原の二人奉行制)の援助を受け、青木賢清により9月7日・9日(旧暦)を祭日に制定。
§ 9月7日に大波止の御旅所(おたびしょ)に、諏訪神社と住吉神社の神輿渡御を行う。
§ 9月9日に遊女高尾(たかお)・音羽(おとわ)が、散曲(さんきょく)の曲舞(くせまい)を諏訪神社の広前(ひろまえ。神の御前)におさめ、還御の儀式を行う。
o 長崎奉行は諏訪神事を長崎市民の神事と認定し、諏訪神は長崎の鎮守となり、長崎市民は皆その氏子となった。この認定の背景には、キリシタン宗門一掃のねらいがあったと言われている。
l 1637年(寛永14年)8月
- 石の大鳥居(現在の二ノ鳥居)が総町の献納で完成。
l 1638年(寛永15年)
- 祭祀費を定め、毎年唐船1隻分の口銭銀(こうせんぎん。唐商人が宿泊した日本人宿元に対する礼金のこと)を給する。
l 1639年(寛永16年)
- 二ノ鳥居(木製)が完成。
l 1645円(正保2年)
- 木製の二ノ鳥居が石製に改められる。(この石鳥居は本河内の水神社に設置されている)