佐賀縣護國神社 歴史

 


明治3年(1870年)、旧佐賀藩主・鍋島直大(なべしま なおひろ)が、戊辰戦争で戦死した藩士78柱を祀ったことに始まる。明治7年以降、佐賀の乱などの戦死者を合祀した。当初は「招魂場」(しょうこんじょう)と称していたが、明治8年に官祭招魂社となり、昭和14年、招魂社の制度改正により内務大臣指定の佐賀縣護國神社に改称した。第二次世界大戦後は昭和22年より肥前神社(ひぜんじんじゃ)と称していたが、日本の主権回復後の昭和27年に元の佐賀縣護國神社に復した。