愛宕権現 愛宕修験
大宝(たいほう)年間、修験道の役小角(えんの おづの/おづぬ)と泰澄(たいちょう)が山城国愛宕山(あたごやま、あたごさん)に登った時に天狗(愛宕山太郎坊)の神験に遭って朝日峰に神廟を設立したのが、霊山愛宕山の開基と伝わる。天応(てんおう)元年(781年)光仁(こうにん)天皇の勅に基づいて、和気清麻呂(わけ の きよまろ)と慶俊僧都によって、唐の五台山(ごだいさん)に倣った愛宕五坊、すなわち朝日峰の愛宕権現白雲寺・大鷲峰の月輪寺(つきのわでら、がつりんじ)・高雄山の神護寺(じんごじ)・竜上山の日輪寺(にちりんじ)・賀魔蔵山(かまくらやま)の伝法寺(でんぽうじ)が建立された。
愛宕山は修験道七高山の一つとされ、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と言われるほど愛宕山は修験道場として栄え、愛宕山の修験者は「愛宕聖」(あたごひじり)や「清滝川聖」(せいりゅうがわひじり)とも呼ばれた。江戸時代にかけて愛宕修験がますます盛んになると、愛宕山白雲寺から勧請された愛宕社が全国に広まった。
中世にかけて愛宕山白雲寺は隆盛を極め、イザナミ及び勝軍地蔵(愛宕権現)を祀る本宮(本社)、愛宕権現太郎坊天狗(たろうぼうてんぐ)を祀る奥院、そして天台宗の勝地院長床坊、教学院尾崎坊、大善院上坊、威徳院西坊、天台宗・真言宗両義の福寿院下坊、宝蔵院の6宿坊で構成された。