甲宗八幡神社 歴史

 


清和天皇貞観元年(859年)、大和国(奈良県)大安寺の僧侶であった行教(ぎょうきょう)が宇佐神宮に参拝し、「桓武天皇は都を平安京に遷させ給うてより、五十年以上も経過したが、未だに王城鎮護の神なし。 願わくば神慮我に降って守護神を教え賜え」と祈願したところ、「吾れ都近く移座して国家を鎮護せん」とのご神勅を受けたことにより、翌年の貞観二年(860年)、清和天皇は太宰大弐 清原真人岑成(きよはらのまひとみねなり)を勅使として派遣しました。 その勅使の命を受けた行教は、宇佐神宮のご分霊を山城国(京都府)に遷座する(石清水八幡宮の創建)途中、門司関の霊峰筆立山(ふでたてやま)の山麓に駐留しました。 すると、筆立山上空に瑞雲たなびき、不思議にも八流の幡を天降して、光り日月のごとく行教の袈裟を照らしました。 行教は大神の出現疑うべからずと上申し、この地に宇佐神宮のご分霊を祀り、神功皇后ご着用の御甲をご神体として当神社を創建しました。御甲をご神体として祀ることから甲宗と称します。 50年に1度の大祭で神体の拝観が行われる。前々回は1958年(昭和33年)、前回は2008年平成20年)に執り行われた。



境内には壇ノ浦の戦いで入水した平知盛の塚と伝えられる石塔がある。