香椎宮 祭神 祭神について

 


文献では祭神に関して、



· 神功皇后祭神説


 - 『兵範記』(へいはんき/ひょうはんき)

『宇佐託宣集』、

『諸神記』(しょじんき)

伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)




· 仲哀天皇祭神説


 - 『宋史日本伝』




· 神功皇后・応神天皇・住吉大神の祭神3柱説


 - 社伝、『筑前国続風土記』




· 神功皇后・武内宿禰・応神天皇・住吉大神の祭神4柱説


 - 『二十二社註式』


などの諸説が存在する。近世の『筑前国続風土記』では「神功皇后、相殿左八幡大神、右住吉大神」と記載されており、明治4年(1871年)の神祇官への届け出もそれを踏襲している。その後、大正4年(1915年)に仲哀天皇の神霊が摂社の古宮から本殿に遷座・合祀されたため、以後は祭神を上記4柱としている。




香椎宮の社伝や『福岡県神社誌』の解釈では、元々は仲哀天皇・神功皇后の両方が祭神であったとしており、初めに仲哀天皇の神霊が天皇崩御時から行宮跡地の廟(かつての摂社古宮大明神)に祀られ、次いで神功皇后の神霊が神亀(じんき/しんき)元年(724年)の新廟(現在の本宮)に祀られ、これらの並列する二廟が「香椎廟」と総称されたとする。上記の文献に見える神功皇后祭神説は、後世に神功皇后信仰が盛んになったためとする。




なお『宇佐託宣集』や『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)では、香椎宮の神を「大帯姫(おおたらしひめ)」と記している。このことから、オオタラシヒメ伝承が神功皇后伝説の元伝承になったと見なす説や、『延喜式神名帳豊前国宇佐郡に見える「大帯姫廟神社」(おおたらしひめびょうじんじゃ。現・宇佐八幡宮(宇佐神宮)の三之御殿)と香椎宮とを関連づける説がある。